復活場面の意欲 文楽の帰国記念公演 S.49.7.26 毎日新聞 劇評 山口廣一

f:id:yamasakachou:20130901113435j:plain

 母国日本では突っかえ棒がないと自立できないはずの文楽が、異国パリでの六月公演三十日間を文字どおりの連夜満員にして帰って来た。その皮肉が話題を呼んでいるのだが、七月の朝日座はその帰国公演である。
 しかも長い旅路の疲労を見せず昼の部の鎌倉三代記では「入墨の段」から「米洗いの段」まで、夜の部の「艶容女舞衣」では「美濃屋の段」を、それぞれ新しく復活させたのは見事だ。ただし残念なことに後者の「美濃屋の段」は南部大夫と燕三の好演があるにしても、作品自体さして効果のある語り場と思えず、この復活のみは減点。
  前者の「入墨の段」は十九大夫と道八。百姓に身をやつした佐々木高綱が敵陣に捕らえられ顔に入墨されるおかしみ。取り立てるほどのうまさでなかったものの、久々の上演だけにおもしろく聞けた。絹川村閑居の端場にあたる「米洗いの段」はいわゆるチャリ場の典型である。蓑助のつかう村の女房おらちが下賤な動作で笑わせる。ここでの伊達路大夫を今月の奨励賞とする。
 切場の「高綱物語」は津大夫だが、合三味線の寛治が休演で勝太郎が代役にまわっているせいもあってか、むやみに怒号するコトバが逆に印象を散漫にする。この人の否定面がそのまま出た。人形では”親につくか、夫につくか、返答いかに”で清十郎の時姫に詰め寄る勘十郎の三浦之助の左足を前に出した瞬間の形が美しい。人形のえがく人形の詩心が伝わって来る思いだった。
 「酒屋」の前半の呂大夫はむしろ苦手の語り場で成績もよくないが、今後ともこの人には敢えてこの式の語り場を与えて、軽い発声の勉強をさせることだ。
 越路大夫のその後半は相変わらず人情の”渇き”めいたものを感じさせる。今日での最高の「酒屋」だけに惜しい。三味線の喜左衛門が健在。
=三十日まで。(山口廣一)