2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧
およそ俳優は演技力のほかにそれとの関連において個々の肉体がかもし出す情緒的な可能性をそれぞれに持っている。いわゆる役者の持味と称されるものがそれなのだが、今月の『江戸育お祭佐七』での勘弥の佐七などを見ていると、そうした持味のたのしさが、い…
母国日本では突っかえ棒がないと自立できないはずの文楽が、異国パリでの六月公演三十日間を文字どおりの連夜満員にして帰って来た。その皮肉が話題を呼んでいるのだが、七月の朝日座はその帰国公演である。 しかも長い旅路の疲労を見せず昼の部の鎌倉三代記…
天外の病気休演の補強策として、蝶々と雄二を加入させた松竹新喜劇が二月の中座である。 ワキ役にまわる雄二はとにかくとして、蝶々はずいぶん濃厚な個性をもった人だ。それたけにこの新加入がこの劇団の今後の演技構造にかなりの変革をもたらすであろうこと…
西の扇雀と東の猿之助、ともに今日の歌舞伎俳優のうちでは特に大きい舞台の”花”を持った若手の人気者である。そのふたりが顔を会わせたのは初春芝居にふさわしい明るさだ。 扇雀でいうなら、四世南北の原作を舞踏化した「お染の七役」の早替わりがそれだ。久…
死んだ文五郎は文楽座のトレードマークだった。このトレードマークは全国津々浦々でも通っていて、あるいはその名は世界的(?)であったかもしれない。文楽などまったく見向きもせない若い世代の人たちでさえ、吉田文五郎と聞けば、それが高名の人形つかい…
終戦間もなくのころ先生(里見弴)と京都へゆき、三条大橋東のしもたや風の宿に泊まった。夜十一時近くになって一人の女性が現れた。一見して祇園の芸者と知れたが、背のスラリとした美人で京風というよりは東京、それも柳橋か葭町の感じだった。すぐ酒にな…
この春、花の四月の東京歌舞伎座は歌右衛門を筆頭にして勘三郎、梅幸、勘弥、三津五郎ら豪勢な顔ぶれの歌舞伎公演で、近来にないにぎわいを見せた。その花やかさのなかで八世市川団蔵の引退披露狂言の『鬼一法眼菊畑(きいちほうげんきくばたけ)』『助六曲…
新作「ハムレット」が終ってつぎの「壺坂」がはじまると、舞台も客席も急に生気を吹き返した感じだった。作品としての「壺坂」は必ずしも調子の高いものではないが、それでも床に松大夫と清六、人形に文五郎や栄三がならぶと、さすがに急ごしらえの新作など…
私は文五郎の人間が好きです。もちろん芸も好きですが、その「芸」をつくりあげている、その芸のもう一つ奥にある「人間」がさらに、より好きなのです。 文五郎が、二代目吉田玉助の弟子として、はじめて文楽座へ入座したのは明治十七年だったといいます。時…
勘弥の弁天小僧が極楽寺の大屋根で立ち腹を切ると、その大屋根がガンドウ返しで奥へたおされて、下から山門のセリが上がって来る。山門の上には猿之助(二代目)の日本駄右衛門が大百日に金銀のドテラ姿でひかえている。大太鼓入りのセリの合方が素朴な花や…
豊竹山城少掾、まことに孤独の人である。近親と呼ばるべきほどの人はひとりもない。 老夫人のうのさんは終戦直後になくなった。七人もあった子供たちも末娘の雄子ちゃんを最後にひとり残らずこの世を去った。現在、山城の朝夕を見まもるのは女中の横山さんと…